プロフィール

スタジオ・グラシア主宰 宮田 恵(みやた めぐみ) | 群馬県 渋川市出身
1996年
パリ ”Centre de danse du Marais”にて
ブランカ、アドリアン・デ・セビージャのもとフラメンコを始める
2000年
イスラエル南部のキブツに移住
2003年 〜2006年
スペイン・セビージャに留学
フラメンコ総合芸術学校フンダション・クリスティーナ・ヘーレンを卒業後、感覚の表現者マニュエル・ベタンソスに師事
2005年 夏
ギタリスト、トメール・エルマラッハと共にスウェーデン、デンマークを巡業
2007年〜
イスラエルのアダマ舞踊・芸術学校、クリエール舞踊学校でフラメンコを教える
2008年
バルセロナの詩人、ジョアン・マルガリットの翻訳記念会で彼の本のタイトルでもある<内に向ける視線と鏡>を製作・披露
ラディーノ歌手、ジバ・アタールの<フラメンコ・ユフディ>に踊り手・パルメラとして客演
イスラエルのオルタナティブ系フェスティバル”ゾルバ”を幕開けする
この頃からオリエンタル舞踊家、ミリ・アロンに師事
2009年
シルヴィア・バロッホそしてギタリスト、ラファエル・グラオと共に<アロマ・デ・ムヘール>を製作、イスラエル中を巡業
様々なフェスティバルでフラメンコと感情表現をテーマにしたワークショップを開催
2009年
パレスチナへ移住
パレスチナ・ベツレヘムの “テント・オブ・ネイションズ”でボランティア活動後、アイーダ難民キャンプに住み子供達と女性にフラメンコを教える
2010年
日本に帰国しスタジオ・グラシアを設立
同時にイギリス・デボン州にあるスクール・オブ・ムーブメントメディスンに通い始める
2010年〜
フラメンコを始め、ジャンルを超えたアーティスト達とコラボレーションし、踊りを通した表現の可能性を探る
2016年
日本人初のムーブメントメディスン・公認ティーチャーの資格を得る
2017年12月
フラメンコと日本の神話の融合「Flamenco天の岩戸開き」チャリティー公演
2018・2019年春
ムーブメント・メディスン全国ツアー開催
2022年6月
リズムワーク“TAKETINA(タケティーナ)”の公認ティーチャーとなる

ダンスへの思い

出会い
私が“ダンス”を始めたのはフラメンコへの興味からでした。
他のダンスにはまったく興味がなかった私が何故か「いつかはフラメンコを踊ってみたい!」
そう10代の頃から心に決めていました。
そして最初にフラメンコと出会ったのは最初の師・ブランカを通してでした。
当時パリの郊外に住んでいた私はフランス語を学びにパリの図書館へ通っていました。
その図書館のちょうど近くにあった”Centre de danse du Marais―マレ舞踊学校”で
ブランカと出会ったのです。
小柄で痩せ型、身長が飛びぬけて大きくない私でさえ彼女を見下ろすようでした。
しかし彼女の存在感は誰よりも大きく、その目はいつもギラギラしているのです。
当時髪を赤く染めていた私はすぐさま彼女に“キャロット”と名づけられ、
フラメンコにも、踊りという世界にも縁がなかった私を彼女はすぐにその腕に迎えてくれました。
面白いのは、実際彼女が踊っているのを見た憶えはないのです。彼女の娘タチアナと
だんなさんのアドリアンが常に踊って見せ、彼女はいつも私達生徒の方をあのギラギラした
目で見つめては突然“キャロット!その手!!!!”と叱咤するのです。
あのブランカの情熱というか生命力こそが、私をフラメンコへのめりこませたきっかけでした。

救い
フラメンコをもっと踊りたい、その為にはフラメンコが生まれたところへ行かねば!
そう決めた時、“私のフラメンコ探し”が始まりました。
スペイン南部アンダルシアの首都セビージャへ行き、専門学校にも入る手続きをしてから
私の中で「どうしてフラメンコなのか?」という自問が湧き起こったのです。

今にして思えば、それは“救い”でした。
フラメンコの舞台を見ると、歌い手・踊り手・ギタリストまでが
怒りや痛み・喜びそのものを顔・身体・音楽で表現しているのです。
表現と言うよりも、そのものとなってしまっている、それを“生きている”と感じたのです。
「こんな風にありのままをさらけ出していいんだ・・・・・・」
かっこ悪さも、低俗さも、醜さも、すべてひっくるめたその“人間の生きざま”を
私はフラメンコに見たのです。

同時に私も、その許可を得たように思えました。
あるがままでいいのだ。
怖がることも、自分ではない誰か・何かになる必要もない。
“私自身”を世界に表現していい。
探していた答えはこれでした。
私自身として生きることの許可を、私はフラメンコで見つけました。


フラメンコだけではなく“ダンス”そのものへと大きく可能性が広がったのが
イスラエル・パレスチナに住んでいた時です。
まさに虹のように様々な民族や文化が色鮮やかに共存するこの2つの国で、幸運にも
素晴らしいアーティストたちとコラボし、舞踊学校、フェスティバル、難民キャンプで
踊り、教え続けました。
その時に私の中にある深い願いに気が付きました。
「ダンスを通してこの世界に平和をもたらしたい」
憎しみと争い、深い悲しみと存在を脅かされる恐怖・・・
私一人では変えることのできない状況に、私一人でもきっとできることがある。
そう思いを転換し、人間一人一人の癒しと地球全体の癒しの道としての“ダンス”を
探求し始めたのです。

その時に出会ったのがムーブメント・メディスンでした。
ムーブメント・メディスン(以下MM)との出会いもまた不思議でした。
当時教えていた学校の秘書である友人が言ったのです。
「恵、これはあなたの為にあるようなものだよ!」
その言葉に導かれ、私はドイツでMMの最初のワークを受けに行きました。
創始者の一人であるスザナが教える“Wild Life”。私たちの中にある野生の生命を
ダンスを通して再発見し、健全に表現する方法を学ぶワークでした。
3日間のそのワークの初日、すぐにはっきりと分かりました。
「これをいつか私は教えるようになる」
私の人生の方向が大きく変わった瞬間でした。

あれから13年。
MMを教える、その夢を今は現実として生きています。
そして「ダンスを通してこの世界に平和を」。この願いは今も変わりません。
ダンスが私の人生を大きく変え、成長させてくれました。
ダンスが私自身と出会わせてくれ、夢を教えてくれました。
これからも、ダンスは私を育ててくれるでしょう。
そしてたくさんの方たちがダンスによって癒され、自分自身と世界と出会い、
夢を生きるサポートをすることが、今の私の夢です。

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